石田嵩人(福井)の経歴&学歴|外務省を目指したのはニューヨークの一人旅!

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石田嵩人さんは元々は国連職員を目指していました。

なので、関西外国語大学時代は猛勉強の日々を送ります。

大学のプログラムでパシフィック大学に留学をし、留学先での出来事で外交官を目指す様になりました。

大学卒業後は外務省を目指し予備校に通い、そこでも猛勉強の日々を送り、最後の挑戦と思ってた3回目の試験で見事合格をし、2015年に外務省に入ります。

外務省ではエネルギー安全保障などの業務に携わっています。

さらに、2018年のアフリカの在ザンビア日本国大使館 三等書記官に赴任され、外交官デビューをしました。

当記事では、石田嵩人さんについて書きました。

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目次

石田嵩人(福井)の経歴&学歴は?

石田嵩人さんの略歴ですが

1990年(平成2年) – 福井県福井市に生まれる
2008年(平成20年) – 北陸高等学校を卒業、関西外国語大学に入学
2010年(平成22年) – パシフィック大学へ学位留学(2年間)
2012年(平成24年) – 関西外国語大学国際言語学部国際言語コミュニケーション学科を卒業、両大学から国際コミュニケーション学と国際関係学の学士号を取得
2015年(平成27年)4月 – 外務省に専門職員として入省
2016年(平成28年) – ジョージタウン大学外交政策大学院(英語版)へ留学(2年間)
2018年(平成30年) – 同大学院外交政策学修士課程(国際政治・安全保障専攻)を修了、在ザンビア日本国大使館に書記官として赴任
2020年(令和2年) – 在メルボルン日本国総領事館副領事(2022年まで)
2022年(令和4年)10月 – 政策研究大学院大学博士後期課程に在籍
2024年(令和6年)7月 – 日本地域政策学会国際交流委員会委員(2026年6月まで)
2025年(令和7年)12月 – 外務省を退職、翌年の福井県知事選挙に立候補を表明
2026年(令和8年)1月 – 福井県知事選挙に立候補

引用:Wikipedia

そんな石田嵩人さんについて見て行きたいと思います。

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大学では猛勉強の日々

関西外国語大学に入学式で先輩が英語でスピーチする姿を見て、憧れを抱き、E.S.S部(English Speaking Society)に入ります。

部活でも英語の学習に取り組みました。

石田嵩人さんは帰国子女ですが、イギリス時代の日本人学校では一番下の英語クラスで英語は苦手でした。

ただ、大学時代は猛勉強をされました。

小さい時からの夢は国連職員ですが、大学時代にニューヨークを一人旅をして、国連本部のツアーに参加した事で多種多様な国籍の人達が働いてる姿を見て国連職員の夢がより強くなります。

何度も言うように私はミーハーなので、純粋に「かっこいい!」と思い、こういった舞台で働きたい!と思いました。

引用:https://web.archive.org/web/20251226092937/https://www.kansaigaidai.ac.jp/magazine/job-hunting-job-introduction/990/

ニューヨークから帰国する飛行機内で「国連職員を目指す」と強く決意をしました。

国連で働くには、大学院の修士号が必要条件なので、関西外国語大学のダブルディグリー留学プログラムを活用して、まずはアメリカの大学で学位を取得することを目標とします。

このプログラムは語学留学とは違って、留学先では現地の学生と一緒に専攻する専門分野の授業を受けるので、高い英語力が必要となります。

なので、選考試験では「TOEFLのスコア・英語の面接試験」で一定の成績が必要となります。

なので、猛勉強の日々でした。

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パシフィック大学に留学

選考試験に合格をし、2010年から2年間アメリカのパシフィック大学に留学し、国際関係学について勉強をしました。

最初の内は英語について行く事も出来ませんでしたが、ここでも猛努力で乗り切りました。

さらに、最初は友達も出来ませんでしたが、サッカーをする事で仲良くなりました。

外交官を目指したきっかけ

外交官を目指す様になったきっかけは

アメリカ留学中に東日本大震災が起きました。留学先の大学のクラスでは、日本人の学生は私ひとりでしたので、震災後、多くの教授や学生から、日本の政治、経済、国際的な立場について説明するよう求められました。私の説明がクラスの中で「日本を代表する意見」として受け止められる、聞く人の日本に対する印象を決める。そんな経験を重ねるうちに、「日本人として日本のために働きたい」と思うようになったのです。

決定的なきっかけとなったのは、ボストンのキャリアフォーラムで外務省の説明会に参加したことでした。そこでお会いした外交官の方に、「君は外務省に向いている」と言われたのです。日本は年々、世界の中で経済面での力が弱くなり、存在感も低下し続けています。これからも少子高齢化はますます進み、労働人口が減っていくことが確実で、日本の国力低下は避けられません。しかしそのような危機的な状況にあるからこそ、「外交官として、日本のために働くことには意味がある」と感じました。

引用:https://warp.ndl.go.jp/web/20250615121749/https://www.kansaigaidai.ac.jp/media/archives/3984

教授に「石田、いま日本がどうなってるか?をパワーポイントを作って、英語で毎回30分プレゼントしてくれ」ずっと言われてたので、自分でパワーポイントを開き、英語で日本や福井の事を話しました。

そして、自分自身の発言が「日本代表の発言ととられるかも?しれない」とヒシヒシと感じ、「これが国を代表して発言する事なんだ」と一つ一つの言葉の重みを感じ、日本人である事の素晴らしさを知りました。

「今後も日本を背負って仕事をしたい」との思いが強まり、日本の為に頑張る為に外交官になりました。

当時は毎朝顔を洗いながら「大和魂」と言ってたそうです。

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予備校生活を送る

大学卒業後は外務省を目指し予備校に通います。

当時は朝起きて予備校に行き、21時まで勉強をし帰宅の日々をずっと続けていました。

外交官の公務員試験は、最後の挑戦と思ってた3回目で合格をし、2015年に外務省に入りました。

外務省時代の経歴は?

外務省時代の経歴ですが

外務省に入省後は、北米局北米第二課に配属され、研修生として1年間勤務

その後、2016年から2年間研修の一環で米国ワシントンD.C.のジョージタウン大学外交政策大学院に留学をし、同大学院外交政策学修士課程(国際政治・安全保障専攻)を修了

2018年にアフリカの在ザンビア日本国大使館に三等書記官に赴任し、外交官デビューをする。

ザンビアに赴任時は、日本の外務政務官とエドガー・ルング大統領の通訳やナイジェリアへの出張時に総理特使の通訳を務めました。

2020年から2022年まで、オーストラリアの在メルボルン日本国総領事館副領事

2022年10月から政策研究大学院大学博士後期課程に在籍し、2025年12月17日に同大学院大学より博士(国際関係論)の学位が授与

2024年7月からは日本地域政策学会で国際交流委員会の委員を務める。

2024年度の国際交流基金とシドニー大学付属在豪米国研究所が共催する「日豪次世代対話交流事業(JADE)」で日本側フェローの1人として参画。

2024年から外務省経済局経済安全保障課資源安全保障室所属の外務事務官で内閣府へ出向

2025年12月24日付で外務省を退職した。

石田嵩人さんはアジア大洋州局にも勤務歴があり、外務省ではエネルギー安全保障などの業務に携わっていました。

以上が、石田嵩人さんに関する記事ですね。

外交官ってかなりなるのが難しい仕事な事が分かりましたね。

石田嵩人さんの学生時代はほぼ勉強漬けの日々で、大きな夢があるとは言え、そんな毎日を過ごす事が出来るのは凄いなぁと思いました。

石田嵩人さんはかなり努力家なんですね。

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