服部晴治(はっとりせいじ)さんはTBSディレクターでした。
服部晴治さんは1940年生まれで、大竹しのぶさんとは1980年のドラマ「恋人たち」で出会いました。
さらに、明石家さんまさんと親交があり、一緒にテニスに行くなどの仲でした。
当記事では、そんな服部晴治さんについて書きました。
目次
服部晴治のwiki風学歴は?顔画像や読み方などのプロフィールは?
服部晴治さんの顔画像はこちらです。
カッコいい方ですね。
服部晴治さんのTBSのディレクターでした。
プロフィールは
- 読み方:服部晴治(はっとりせいじ)
- 1940年生まれ
服部晴治さんは1987年に47歳で亡くなっています。
服部晴治さんの学歴は公表されていません。
ちなみに
- 二千翔さんの学歴は、慶應義塾高校→慶應義塾大学 経済学部
- 大竹しのぶさんの学歴は、東京都立小岩高校→桐朋学園大学短期大学部 演劇専攻科
となります。
ミロTBSに入社してる部分からも高学歴のっぽい
演出・プロデュース作品まとめ
服部晴治さんが関わった作品は
- 1969年9月~1970年3月、安ベエの海 演出
- 1971年3月~9月、お登勢 演出
- 1974年1月~10月、寺内貫太郎一家1 演出
- 1974年6月~11月、ヨイショの演出
- 1974年10月~1975年4月、時間ですよ・昭和元年 演出
- 1975年4月~11月、寺内貫太郎一家2 演出
- 1975年10月~12月、ばあちゃんの星 演出
- 1975年11月~1976年5月、花吹雪はしご一家 演出
- 1976年5月~11月、さくらの唄 演出
- 1976年10月~1977年3月、さかなちゃん 演出
- 1977年1月~3月、冬の運動会 演出
- 1977年5月~11月、ムー 演出
- 1977年11月~1978年5月、せい子宙太郎 演出
- 1978年7月~10月、家族熱 演出
- 1979年1月~4月、たとえば、愛 演出
- 1979年8月~11月、家路 演出
- 1979年11月~1980年2月、家路PART2 演出
- 1980年4月~7月、離婚ともだち 演出
- 1980年10月~12月、恋人たち 演出
- 1981年3月~6月、拳骨にくちづけ 演出
- 1981年8月~9月、土曜 日曜 月曜 演出
- 1982年3月~5月、あまく危険な香り 演出
- 1986年10月、45回転の〇人 演出・プロデューサー
- 1982年11月~1983年2月、いつもお陽さま家族 演出
- 1983年4月、聖母たちの行進 演出
- 1983年10月~12月、もういちど結婚 演出・プロデューサー
- 1984年6月、月の川 演出・プロデューサー
- 1985年1月~3月、許せない結婚 演出
- 1985年11月、家政婦・織枝の体験1 演出・プロデューサー
- 1985年12月、家政婦・織枝の体験3 演出・プロデューサー
- 1986年1月、恋の面 愛はまぼろしか 演出
- 1986年3月、紙の灰皿 演出
- 1986年7月、家政婦・織枝の体験4 演出・プロデューサー
- 1987年2月、家政婦・織枝の体験5 演出・プロデューサー
- 1987年7月~9月、モナリザたちの冒険 プロデューサー
参考:テレビドラマデータベース
大竹しのぶさんとの出会いはドラマ「恋人たち」になります。
このドラマで、大竹しのぶさんはヒロインの土方信子を演じています。
ミロ色々な作品を作ってる凄い人!
さんまと仲良しだった
明石家さんまさんと服部晴治さんは一緒にテニスをするなど交流がありました。
さらに、大竹しのぶさんの知らない所で、服部晴治さんは明石家さんまさんに対し
との手紙を書いてたそうです。
実は同氏とさんまは交流があったという。大竹は「さんまさんと晴治さんも一緒にテニスしたりとか」と当時を振り返った。さらに、大竹の知らないところで、服部氏がさんまに手紙を書いていたことが発覚。
引用:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803210000397.html
以上が、服部晴治さんに関する記事ですね。
服部晴治さんは色々な作品に携わってる優秀な人な事が分かりましたね。
顔や雰囲気からもインテリな雰囲気が出て、その感じが二千翔さんに似ていますね。
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