平岡秀夫さんは下松市出身の妻と子供と孫が2人ずついます。
妻は政治活動もサポートをされています。
妻の父親と平岡秀夫さんは同じ高校出身になります。
父親は勝人さんで農家の長男として生まれ、消防署に勤務し、その後専業農家になり、岩国市農協の組合長になっています。
母親はフサ子さんで、岩国市の農家の次女として生まれ、19歳の時に結婚をしています。
母親は平岡秀夫さんの顔が似てて、かなり働き者な人でした。
当記事では、そんな平岡秀夫さんの家族について書きました。
平岡秀夫の家族は妻と息子がいる?
平岡秀夫さんの家族は山口県下松市出身の妻と子供2人と孫2人になります。
ただ、子供が息子か娘かどうかは不明でした。
妻(下松出身)・子2人・孫2人
以下のポストから分かる様に妻は政治家活動をサポートしています。
最近は、政治活動としての街宣活動に多くの時間を割いています。今朝は、徳山駅前で街頭演説しましたが、妻がそれに参加して「お早うございます。平岡秀夫です。」と黄色い声を張り上げて協力してくれました。その声に振り向く人も多くいて、私の中身ある演説よりも「集客力」があると、嫉妬しました。
— 衆議院議員(山口2区) 平岡秀夫 今こそ「信頼の政治」を! (@hiraoka01) March 26, 2013
さらに、妻の父親と平岡秀夫さんは同じ高校出身です。
今夕、私の下松事務所の「岩国事務所への統合式」を開催。これまで下松事務所に関係の深かった30人近くが出席、感謝します。下松市は家内の故郷で、私と家内の父も市内の下松工業学校卒です。その下松から私の事務所が無くなることは寂しいことですが、いつの日か復活させたいです。捲土重来を期す!
— 衆議院議員(山口2区) 平岡秀夫 今こそ「信頼の政治」を! (@hiraoka01) January 27, 2013
妻は2010年頃から太鼓の練習をし、岩国音頭に参加されています。
今夜、故郷の岩国市内の藤生地区で、岩国音頭の練習会が開催された。岩国音頭は、古くから岩国地区の農民が謡い踊っていたもので、独特の節回しと独特の振付けが特徴です。妻は、3年前から太鼓の練習に参加し既に実戦に登場済です。私は、12年前から踊りはしていますが、練習会では謡いに挑戦です。
— 衆議院議員(山口2区) 平岡秀夫 今こそ「信頼の政治」を! (@hiraoka01) May 21, 2013
父親は消防署勤務
父親は勝人(かつと)さんで、2011年5月18日に87歳で亡くなっています。
父親は農家の長男として育っています。
祖父はのり養殖をしてて、漁協でのり部会長を務めています。
消防署に務めた後、今でいうと定年高齢専業農家となり、岩国市農協の組合長になっている。祖父はのり養殖をやっており、漁協でのり部会長を務めている。つまり半農半漁のごく普通の家庭で育っている。幼少期まだ手作業だったのりの天日干しに立ったり座ったりしなければならず、そのため足腰が丈夫だというのは本人の弁である。
引用:https://www.shinohara21.com/blog/article/2023/04/2230414.html
さらに、平岡秀夫さんは政治家になった後も実家に帰ると、れんこん掘りを手伝ってたそうです。
母親は農家の次女
母親はフサ子さんで、2013年08月15日に82歳で亡くなっています。
母親は岩国市内の農家の次女で、19歳の時に結婚をしています。
平岡秀夫さんは3人兄弟で、姉と弟がいます。
平岡秀夫さんは母親と顔がそっくりだったそうです。
母親とのエピソードを自身のブログにて、以下の様に書かれています。
私が子供の頃に書いた「お母さんの絵」は、いつも、玄関口の土間でネギのしご(汚れた表皮をむいて、数本を束ねる作業)をしている姿でした。いつも、外では蓮田や畑で野良仕事をし、家では炊事や家事をしていた母は、本当に働き者であったと思います。
私が15年余り前に政治家を目指して故郷に帰ろうとしたとき、最後まで強く反対したのは母でした。
母と私とが一緒に電車に乗った時そっくりな二人の顔が窓ガラスに映っていて、二人で大笑いしたことがあります。顔がそっくりな分だけ、母は私のことを自分のことのように心配してくれていたのではないでしょうか。
以上が、平岡秀夫さんの家族に関する記事ですね。
平岡秀夫さんと母親とのエピソードは感動的でしたね。
いくつになっても、母親から見ると子供は子供なんですね。

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