小松暢さんの最初の夫は小松総一郎さんでエリート機関士で、1939年に結婚し、子供はいませんでした。
小松総一郎さんはほとんど海上で過ごす事が多く、結婚生活で一緒に過ごす事が少なかったそうです。
そんな小松総一郎さんは神戸大学卒業後に日本郵船に勤務をしています。
当記事では、最初の夫・小松総一郎さんとはどんな人なのか?について書きました。
小松暢は再婚!最初の夫は総一郎で子供はいない!
小松暢さんは再婚で、最初の夫は小松総一郎さんになります。
最初の夫との間に子供はいません。
そんな最初の夫の小松総一郎さんとはどんな人なのか?を見て行きましょう。
プロフィールは?
小松総一郎さんは1912年高知市生まれで、3兄弟の長男になります。
父親は虎喜さんで、東京外国語大学 ロシア語学科を卒業してるのでロシア語が話せます。
そして、日本企業の旧満州ハルビン支社に駐在後、シベリアに出兵し通訳官として従軍し、上海に向かう船で出会った人の影響でなんらかの事業に関わっています。
母の喜久栄さんで、南国市の長岡小学校の家庭科教員などをしながら子育てを行い、虎喜さんが大阪の会社に勤務すると家族で移り住みました。
趣味は写真撮影で、小松暢さんに愛用のライカ社製カメラを贈ってたそうです。
経歴や学歴は?
小松総一郎さんは高知県立第一中(現、追手前高校)→神戸高等商船学校 機関科(現、神戸大学 海事科学部)を経て、日本郵船に就職し、船に乗ってエンジンなどの管理を行いました。
神戸高等商船学校は1930年11月に合格をし、1936年に卒業をしています。
さらに、1941年に一等機関士に昇格をしています。
日本郵船は、三菱グループの「源流」と言われる会社で、アジアや欧米と結ぶ定期航路を運航する大会社になります。
当時は多数の船が船員ごとに徴用されて軍事物資や兵員の輸送に充てられていました。
そして、小松総一郎さんも1943年5月に大型貨物船「松本丸」で原油輸送の仕事を行いますが、結核にかかったので1943年10月末に船を降りました。
その後3年間高知市で療養を行うも、1946年1月19日に33歳で亡くなりました。
ミロ1939年に結婚
小松暢さんとは1939年に結婚しています。
結婚時、小松総一郎さん26歳で、暢さんが20歳でした。
ただ、2人の東京・大阪で暮らすも、小松総一郎さんは海上で暮らす事が多く、一緒に暮らした期間は短いそうです。
ミロ

まとめ
小松暢さんと総一郎さんは1939年に結婚をしています。
互いの父親同士が仕事上で交流があった事により、お見合いの話になりました。
小松総一郎さんは1912年高知市生まれで、現在の神戸大学を卒業後に日本郵船に勤務していました。
そして、一等機関士とエリートの方でした。
最初の夫の小松総一郎さんはかなり優秀な経歴と学歴な人な事が分かりました。
さらに、趣味がカメラと言う辺りもインテリ感が強いですよね。
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