たくろう・きむらバンドさんは小さい時からお笑い好きで芸人を目指してる人でした。
松山中央高校時代は、バンド「サディスティックジョーカー」でベースを担当していました。
大学はバンドメンバーと同じ松山大学に進学するも、大学ではバンドよりも落語研究会にハマっていました。
さらに、愛媛のローカルスターでもありました。
大学では4年間在籍をしていましたが、ほぼ授業に行く事はなく卒業式の時に辞めています。
当記事では、きむらバンドさんの学歴について書きました。
たくろう・きむらバンドの学歴は松山中央高校・松山大学出身!
きむらバンドさんの学歴は
となります。
小さい頃からお笑いで人気者に
きむらバンドさんは10歳まで愛媛県の鬼北町と言う田舎に住んでいました。
当時は、吉本新喜劇と明石家さんまさんのマネをして、面白くて人気者でした。
人気者になれるので、お笑いをドンドンと好きになって行きました。
10歳の時に松山市内に引っ越し、学校を転校し、そこで転校生じゃない体で隣の人に「〇〇やんな~」と話すボケがウケて、2歳年上のいとこが同じ学校にいた事もあり、学校に馴染んで行きました。
中学時代は番長の人達にとにかく笑わせ太鼓持ちを行い、番長の懐に入る事で、平和な学校を生活を送っていました。
当時のきむらバンドさんにとってお笑いは、生きる術でもある事を無意識に叩きこまれていました。
きむらバンドさんはずっと芸人を目指してて、それ以外の選択肢はありませんでした。
高校時代にバンド活動を行う
きむらバンドさんは高校時代にバンドを組んでいました。
当時、ジャパハリネットと言う愛媛のバンドがメジャーデビューをし人気になったので、県民からスターが生まれたと愛媛県が沸きました。
その影響できむらバンドさんはバンドを始めました。
バンド名は「サディスティックジョーカー」でベース担当で、「TATTI(タッティ)」と言う名前で活動をしています。
バンド名はボーカルが考えてて、バンドの代表曲は「涙ブーツ」です。
涙ブーツの歌詞の一部は
なみだブーツ!晴れ空のし~たで僕らは歌~うよ…♪
高校の進路届けの際には、吉本はダメと言われてたので、動物好きだったので動物の飼育員か子供好きなので保育士と書いていましたが、書かなきゃいけないから書いてたレベルで根底では吉本で芸人をしたかったそうです。
きむらバンドさんはずっと芸人を目指していましたが、高校3年の進学をどうするのかとなった時にお笑いよりバンドでも売れたいという気持ちになります。
お笑いは面白い人がたくさんいるけど、ベースで面白い人はかなり少ないので、「面白いベースと言うポジションなら簡単に取れるのでは」と考え、バンドメンバーと同じ松山大学への進学を決めます。
お笑いは面白いヤツがいっぱいおるから、そこで勝っていかなきゃいけないけれど、当時、ベースをやっていた僕は、周りを見渡してベースで面白いのってドリカムの人しかおらへんやんと。それやったらベースで面白いヤツの位置ってめっちゃ簡単に獲れるんちゃうんと思って、それでバンドメンバーと同じ松山大学に進学しました。
落語研究会にハマる
大学に入ると落語研究会の存在を知り、当時のきむらバンドさんは落語研究会の事を知らずに、興味が出て入ったらハマりました。
それまでは漫才自体をした事がなく、ここで漫才やコントに触れました。
部内には落語が出来る人が一人もおらず、一度廃部寸前にまでなりかけてて、入部時には一つ上のしかおらず、廃部にしたくないので落語をせずに漫才やコントをやってもいいから入ってよと言う状態でした。
なので、バンドより落語研究会にハマって行き、この時にぐらいにお笑いのプロになる意識が強くなって行きます。
愛媛県のローカルスターに
きむらバンドさんは大学卒業後にNSCに入るつもりでした。
ただ、大学では遊んでばかりいたので、大学2年時には単位が足りない事が確定しました。
なので、2年時に大学を辞めてNSCに入るつもりでしたが、愛媛県のローカルスターになり、MCの仕事をしたり、サークルの全国大会で結果を残したりもしていました。
地元でお笑いをやってる若い子なんてほぼいなかったのでケーブルテレビの取材がバンバン入ったり、僕だけの特集を組んでくれたり、それがきっかけでMCの仕事が来たり、サークルの全国大会みたいなので結果を残したり。
この事で落語研究会は急に脚光を浴び、大学側からも多くの部費が貰え、部員も20人くらいに増えました。
この状態はとても気持ち良かったそうです。
ただ、大学の授業は4年間ほぼ出ない状態が続き、大学の卒業式に辞めています。
礎を築いてる感がハンパなく、気持ちよくて……でも授業にはほぼ出ない不思議なポジションで4年間いて、卒業式に辞めました(笑)。
ちなみに、松山大学の落語研究会は現在は部員が男17人・女15人いて、学外イベントでも多くの出演依頼を貰ってるそうです。
同サークルの説明文には
“落研”をひと言で表すと「個性あふれるコンビニ」。何でもあるコンビニのように、ピン芸から漫才、コントまで様々なネタに挑戦しています。各コンビがネタを書き、毎月末の学内ライブや外部イベントなどで笑いを磨きながら、観客の反応を見て改良を重ねる日々。目標は「M-1グランプリ」出場。今年度は3組が挑戦し、残念ながら1回戦敗退となりましたが、来年度も頑張ります! ぜひライブを見に来てください!!
引用:https://www.matsuyama-u.ac.jp/activities/activities-1929/
となっています。
と言った感じで、きむらバンドさんが在籍時よりもさらに活動が活発になっています。
きむらバンドさんですが、ローカルタレント時代の芸名は「椿太一」だった可能性があります。
参考:https://mixi.jp/view_community.pl?id=5092408
そんなきむらバンドさんは部活動をしない学生時代を過ごしていました。
きむら:僕、人生で部活とかやってきてなくて、なんかで一番とかも獲ったことなかったんですけど、たくろう組んで劇場入る時だけはそのライブでバトルで入らなくちゃダメなんで、入った時が正直嬉しかったかもしれないです。初めて何か成し遂げられてたなみたいな。まあ別にまだ売れてないんであれですけど、初めて目標立てて成功したっていうのが、もしかしたら劇場入った時かも知れないですね。
引用:https://kansai.pia.co.jp/interview/music/2021-07/syukasyun10-eon.html

まとめ
きむらバンドさんは、愛媛県立松山中央高校・松山大学出身です。
10歳まで愛媛県の鬼北町に住み、10歳の時に松山市に引っ越しています。
小さい時からお笑い好きでずっと芸人を目指していました。
高校時代は、「サディスティックジョーカー」でベースを担当していました。
高校3年時に「面白いベース」ならかなりライバルが少なく簡単にポジションが取れると考えて、バンドメンバーの同じ松山大学に進学します。
大学では落語研究会に所属し、バンドより落語研究会にハマって行き、本格的にプロの芸人を目指す事を決めました。
さらに、大学時代は愛媛県のローカルスターになり、サークルの全国大会で結果を残したりもしています。
大学には4年間在籍していましたが、ほぼ出席をしない状態で、大学の卒業式の時に辞めています。
きむらバンドさんは小さい時からずっと人を楽しませるのが好きな事が伝わって来ましたね。
大学時代のエピソードは中々の豪快っぷりで、優しいそうなきむらバンドさんの見た目からは意外な印象を受けました。
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